荒井由実さん と 松任谷由実さん の違い

Yumingの愛称で知られる松任谷由実さん。今更彼女の事を書いても別段
変わったことや珍しいことなどないだろう。それほど日本国民の殆どに
知られている歌手でありライターだ。勿論その功績も書いてたら足ら
ない程でまさにSong界を代表するスーパースターだ。

今も現役であり私が松任谷さんの事を述べるなど「100億年早い!」と
怒られそうだが、こんなBlogをやっている以上記さない方が100倍怒られ
そうなので、【前提として私の個人的な】Yumingの印象を恐る恐る始める。

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■荒井 由実 さん

周知のとおりデビュー時の名前は「荒井 由実」さん。聴くと10代から
20代初頭は立教女学院から多摩美大を目指しお茶の水美術校に通っていた
らしい。ちなみにお茶の水と言えば東京の楽器屋街のメッカ。この頃すでに
作曲家としてはデビューしてるので彼女にとっても刺激のある街だったんじゃ
ないだろうか。

音楽に片足を入れながら美大を目指すあたりは若かりし頃の将来に対する
定まらない不安なんかもあったんだろうと推測する。なんにせよその混沌が
歌詞にもメロディーにも秀逸に描写されてる彼女の「ひこうき雲」は鮮烈な
印象を残している。

もう一つ。荒井由実さん作品について忘れてはならないのは映画「いちご白書」
だ。1970年代の映画で当時世界中を席巻してた学生運動がモチーフになっている。
Yumingが高校の頃の映画だ。

今の方々は想像もつかないかもしれないが当時の日本も学生運動の嵐が吹き荒れ
大学閉鎖なんてことも頻繁だったと聞いている。学生が独自の理論と倫理で
日本の将来を憂い暴走した時代だ。

チャチャっと記すと、騒動を起こし続けた学生が過激派となり、連合赤軍となり
あさま山荘事件なんかに続いていくがココで話すコトではない。。。
(音楽中心だからね。)

でもそんな荒れた時代背景を逆手にとってその代表映画である「いちご白書」で
「いちご白書をもう一度」なる名曲を残している。しかも奥ゆかしくも「バン
バン」さんに楽曲提供したんだっけ??

曲の内容は政治や思想とは関係なく、荒れた時代にもいたであろう普通の学生の
恋を上手に詞にしている。「詞」だけど瞳を閉じれば描写化されたその世界が
くっきり浮かぶから恐ろしい。Yumingマジック!

荒井由実さんの頃のYumingはデビュー直後の迷いもあっただろうけど楽曲には
すべて「牙」が感じられる。

いい音楽をつくる使命感より自身の内面をさらけ出す「私小説」的な雰囲気も
ある。実際彼女を語るに絶対に外せない曲「中央フリーウェイ」は
「荒井由実」名時代最後のアルバム「14番目の月」に収録されている

「中央フリーウェイ」はその後結婚する松任谷正隆さんに実家の八王子に車で
送ってもらう時に利用する中央高速道路の情景を書いたもの、として有名だ。

よく荒井由実さん と 松任谷由実さん の違いは何? とか
荒井由実さん と 松任谷由実さん どっちが好き? 等の話題が上がるが
どちらもYumingであり、勿論作品も甲乙つけがたい。

だがあえて言うならば私は、初めて聞いた曲が「荒井由実」さんの
「中央フリーウェイ」なので荒井由実さん と答えてしまう。音楽に対する
粗削りで猛々しい、そして繊細な恋心を操る想像力は、自身の音楽を一流の
モノに押し上げた完璧さの中には微塵も感じられないから。

挑戦心は相変わらずだが。

荒井由実さん 時代のアルバム

1973年 ひこうき雲
1974年 MISSLIM
1975年 COBALT HOUR
1976年 14番目の月

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松任谷 由実 さん
知られすぎて記すのも躊躇うが彼女は松任谷正隆氏と結婚し名前が
「松任谷 由実」さんになった。一時では書ききれないので続きはまた。

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