美空ひばりさんについて ご子息と&元・付き人の方が「徹子の部屋」へ

美空ひばりさんといえば押しも押されぬ往年のBigSTAR。とはいえ年代はかなり違う。
高校生の頃か浪人中か、その頃秋元康さんが「川の流れ~」を作詞しその年のレコタイを
総なめにしてたような記憶がある。
で、音楽的見地から今、ひばりさんを考えてみたい。
ひばりさんは幼少のころから歌のうまい女の子としてご近所界隈では有名だったらしく
町内の人を集めてはミカン箱をステージにその際分たる歌を披露していた、というのは
有名な話。逸話として自分の両親や年上の方々からも都度聞いた話だ。
自分自身音楽をかじり、ある程度「歌」というか歌唱力、声楽というものを1つの曲として
聴けるようになった。それでもその名声や偉人伝を抜きにして、ひばりさんのLiveは「スゴイ」
と思えた。
音楽は楽器の進化という説もあるがひばりさんの全盛期は多分マイクロフォンが普及してきた
頃でラジオ放送が大衆化した時期なのではないかと思う。そのイノベーション(?)の時流に
乗り、ひばりさんの声は爆発的に広まったのだろう。きっとココ最近の「宇多田ヒカル」さんが
恒星爆発のように日本中に広まった時のように。(最近じゃないか)
比べるわけではないが、宇多田さんの歌唱テクニックもすごいがひばりさんはもっと単純にスゴイ。
宇多田さんは「Automathic」のように感情を詞に乗せブレスやハスキートーンを絡めてソウルフルに歌いこむ。かと思えば「花束を~」のように童謡的なノスタルジーな歌唱テクも持っている。
一方ひばりさんは西洋歌唱的なテクよりもファルセット(裏声)や舟歌のようなダミ声、民謡のような発声をも使いこなす。驚くのは晩年のひばりさんが幼少期のころミカン箱の上で歌っていた
当時の声質をも発声出来ていたことだ。
今の時代、電子楽器や初音ミクやDTM、EDMで個性は披露しやすくなっている。
ひばりさんの活躍した日本の戦後間もない頃、道具が限られまだ西洋歌唱という情報の少ない
時代だからこその多彩な歌唱テクニックの駆使は特筆に値すると思う。
多分50歳を超えていただろう。子供の歌声を操り歌い上げるひばりさんをTV放送とはいえ
当時見られたことは今も自分の財産だと思ってる。

東京キッド
(53) 美空ひばり-東京キッド – YouTube

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