あまりにも有名な偉人、ジョン・レノンが残した日本の足跡

ジョンレノンの事は以前の記事で少し記載した。彼が生み出した音楽や生き様に
関しては今更語るでもなく誰もが周知の事と思う。

なので今回は彼の音楽系の話ではなく、少し側面(いや斜め位?)の事を記したい。

多分世界屈指の有名カップル、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ。当時人気絶頂だった
ビートルズの主役級メンバーにして大スターのジョンレノンが日本人のオノヨーコ
(小野 洋子)と知り合ったのはイギリス、ロンドンのギャラリーだったと何かで読んだ。
すでに前衛芸術家だったオノ・ヨーコと作品を通しての出会いというのが興味深い。
生粋の日本人であるオノ・ヨーコの作品に惹かれたジョンはすでに日本色に傾倒していたの
かもしれない。

またはビートルズ自体がインドに傾倒したことを思うと広い意味でアジアっぽいカラーが
ジョンのお気に入りだったんだろう。

1975年頃だと思う。ジョンレノンに息子ショーンが生まれ、しばらく音楽活動を休止して
た間に日本に来日。毎年、東京や軽井沢、京都などで夏を謳歌してた。もともとオノヨーコは
下町の人だったらしく今も東京の銀座や上野、隅田川の屋形船の船頭さんの言葉等から二人の
足跡をたどることができる。

記録に残っているジョンレノンの足跡はいくつもあるがその記事に残っていない人づての
噂もチラホラ聞こえる。軽井沢や京都での行動は有名だが東京下町でのジョンレノンは
あまり知られていない。

たまたま入った場末の古い居酒屋でジョンレノンの足跡を見つけることもあれば、下町の
路地裏でおばあちゃんが「ココは昔じょんのれんが彼女とよく散歩してた」なんて話を
聞くこともある。(このへんは東京在住の特権だろう)

私事だが学生の頃、ジョンの足取りを追って上野の「黒船亭」に行ったが、当時の貧乏学生
には「黒船亭」の料金は届かず、店の前で諦めて駅前のカレー屋「クラウン」に行った事を
今も思い出す。

また鶯谷の高級豆腐店や神楽坂あたりでもジョンレノンの足跡は散見され、今もその地域の
人々の誇りとなっている。

他にもヨーコの影響から日本語を使い片言だが色々面白い言葉を残している。俳句や仏教
僧侶の習わしにも興味があったらしく彼処にジョンレノンの影が見える。

外国のアーティストで日本贔屓な方は多い。でもその中でジョンレノンというミュージシャン、
アーティストが日本に傾倒してくれたことは、彼の音楽に恩恵を受けた感謝と共に感銘さえ
覚える。

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